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ただの“つなぎ”じゃない──映像編集が哲学になるとき

ただの“つなぎ”じゃない──映像編集が哲学になるとき

画像引用元:https://wired.jp/article/adolescence-creator-went-very-very-deep-in-the-manosphere-its-appeal-scared-him/

こんにちは。エレファントストーンのディレクター安藤です。

三度の飯より映像編集。寝ても覚めてもタイムライン。一度、映像編集に没頭してしまえば、私は宇宙の彼方にいるでしょう。さて、みなさんは、映像編集にどんなイメージを持っていますか?

映像編集というと、映像を切ったり音楽を加えたりする“作業”のイメージが強いかもしれません。実際、多くの場面で編集は撮影後の素材を整える工程いわゆる“仕上げの工程”として捉えている人が多いかもしれません。

例えば、YouTubeやSNS向けの短い映像では、視聴者の注意を引きつけるためにテンポよく編集され、映像が退屈にならないよう工夫が凝らされています。

ですが、私は映像編集はもっと奥が深い領域だと思っています。映像編集は、ただの技術や演出にとどまらず、ときに「私たちはどう世界を見ているのか?」という問いにまで触れてくるような、ちょっとした哲学的な広がりがあると思っています。
今回はそんな映像編集の奥深さについてご紹介します。

本記事の編集担当の大江です!ここからしばし、安藤ワールドに突入していきます(笑)「あれ、これ何のテーマの記事だっけ?」と混乱される可能性もありますが、安藤の考える“映像編集”に紐づく話ですのでお付き合いください!

異なる視点から世界を見る。

私は学生時代、油彩を学んでいました。

絵を描くことを通じて、
「どうして世界はこう見えるんだろう?」
「この見方って、本当に唯一のもの?」という疑問がありました。

そんなときに出会ったのが一冊の本でした。『絵画の準備を!READY FOR PAINTING !という本の中にある、哲学者イマヌエル・カントの『月の住民』についての記述です。

画像引用:絵画の準備を! READY FOR PAINTING ! 松浦寿夫 著 / 岡崎乾二郎 著

カントの考え方を調べていくうちに、単なる哲学の話ではなく、世界の感じ方や見るとは何かに深く関わっていることに気づきました。絵画や映像、すべての表現において、「見る側」の存在がどれだけ大きな意味を持つか。それを意識させてくれたのが、カントの「月の住民」でした。

カントの「月の住民」とは?

僕は映画を見るのが好きで、特にインスピレーションを刺激してくれるようなSF作品が好きです。史上初のSF映画として知られる『月世界旅行』(1902年)では、人類が月へと旅立ち、そこで不思議な存在と出会う様子が描かれました。

画像引用:https://eiga.com/movie/77238/

もし映画みたいに、「月に宇宙人がいたら……」なんて想像すると、「いるわけないでしょ」とどこか冷めた気持ちになることもあります。正直に言えば、僕自身「月に住民がいる」とはあまり思っていない派です。

でも、いい映画に出会ったとき、「もしかして本当にいるのかも……」と、現実が揺らぐ瞬間があります。ありえないかもしれないけれど、そんな未知の存在や、まだ見ぬ感覚に出会いたくなる気持ち、好奇心は確かにあります。

カントは、「人間の知覚や考え方には限界があって、私たちは世界をそのままの形で見ることはできない」と考えました。例えば、鳥は紫外線が見えると言われています。つまり、同じ世界を見ていても、違う生き物にはまったく異なる風景が広がっているかもしれないのです。

私たちは物事を“時間の流れ”“空間の広がり”といった枠の中で理解していますが、そうした枠組み自体が、人間特有の見方にすぎない、というわけです。

カントはこのような存在を「アイディア(Idee)」と呼びました。普段、私たちが使う「アイディア」という言葉は、何かの企画や思いつき、つまり実現のための案というイメージが強いかもしれません。

カントにとっての「アイディア(Idee)」は少し違っていて、たとえ実際に見ることができなくても、理性が自然と“そうあってほしい”と願ったり、“あるかもしれない”と想像してしまうような、少しロマンを含んだような概念になってます。

例えば、「月に住民がいるかもしれない」と考えることは空想に聞こえるかもしれませんが、実は人間の理性が持つ想像力の自然な働きであると言っており、どこかロマンがある話でもあります。なぜなら、私たちが世界を知っていく過程。つまり、新しい経験や知識を積み重ねる“知覚の進行”のなかで今は見えない存在にも、いつか出会える可能性があるからです。

ここでいう“知覚の進行”とは、私たちが世界を体験しながら、少しずつものの見方や理解を広げていく過程を意味します。例えば、望遠鏡が発明されたことで初めて見えた星があるように、技術や感性の変化によって、いまは見えないものも、将来見えてくる可能性がある。月の住民は、そうした“これから見えてくるかもしれない存在”の象徴なのです。

画像引用:https://www.espace-sarou.co.jp/moon/sakuhin.html

私たちの感覚や考え方は、経験を重ねるごとに少しずつ変化していくと思います。昨日は気づかなかったことに今日ふと気づくように、今見えないものも、時間とともに見えてくることがあると思います。

つまり、月の住民のような存在は、今この瞬間に確かめられるわけではないけれど、私たちが世界を知覚し、理解を深めていく中で、いつかふと出会うかもしれない可能性を秘めています。見えないから存在しないのではなく、まだ見える条件が整っていないだけかもしれない。

そう思うと、「存在を信じること」には、単なる空想以上の意味がある!イメージをし、思い描くこと自体が、未来の世界の見え方を変えていく力になるのです。

映像編集は「世界の見え方」を変える行為

私は、映像編集は、単なる技術や作業ではなく、視聴者の感じ方や考え方に働きかける表現だと思っています。

例えば、物語の中の出来事を順番通りではなく、後から並べて、思い出のように振り返るような編集にすると視聴者は過去を体験しているような世界を見ることができます。あるいは、カメラの視点を登場人物の目線に切り替えると、まるで主人公の目線で世界を感じ取り、画面の向こうで起きていることが、まるで自分のことのように感じられるような演出が可能になります。

さらに、音楽を盛り上げたり、環境音を強調したりすることで、シーンの切り替わりの高揚感や感情の揺れ動きをより深く印象づけることができます。音の演出は映像の空気を変える大きな力を持っています。こうした編集の工夫によって、視聴者は「自分とは違う感覚で世界を見る」体験ができます。これはつまり、「人間の感覚とは異なる視点から世界を見てみる」ということ。

カントは、人間の認識には限界があり、私たちは世界を“ある特定の見方”でしか捉えられないと考えました。だからこそ、彼は「人間とは異なる感覚や認識のかたちをもつ存在/月の住民」を思い描いたのだと思います。

映像編集もまた、時間をずらしたり、感情の揺れを丁寧に拾い上げたりしながら、見慣れた現実に別の切り口を与える行為です。そうしてつくられた映像には、いつもの見方とは少し違った“もうひとつの視点”を可能にすると思います。

例えば、何気ない風景や日常の場面が、編集を通じて少し違って見えたり、ふと心が動くような瞬間が生まれたりする。そんなとき、映像はただ情報を伝えるだけでなく、私たちの感性に働きかけるような“新しい世界の見方”を届ける映像になります。

画像引用:モネ『印象・日の出』

私が好きな“視点が変わる”映像作品

ここからは私が好きな“視点が変わる”映像作品を3つ紹介していきます。

New Balance RC42(bankok)

 

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ユニセックススニーカー「New Balance RC42」の魅力を映像で表現した最新コンテンツが、タイ・バンコクを舞台にしたグローバルキャンペーンとしてInstagramで公開されています。

 現在(2025年6月時点)では、まだ断片的な公開のみですが、多彩でスピード感のあるカット割り、広角レンズを活かしたズーム、ユニークな画面分割など、映像表現としての密度の高さがエグいです。

 音楽とサウンドエフェクトも絶妙にマッチしており、映像体験として、非常に高い次元に到達している作品だと思います。まだ公開されているものが断片的なため完全版が公開されるのをものすごく楽しみにしています。(本当に公開されるのかわからない。)

もし、ブランドの世界観をもっと深く届けたいと感じている方がいれば、こうした映像のつくり方は大きなヒントになると思います。ただ商品のスペックを伝えるだけではなく商品を手にした時、どんな景色が見えるか。そうした想像の余地がある映像には、視聴者を強く惹きつけられると思います。

『アドレセンス』予告編 – Netflix

画像引用:https://wired.jp/article/adolescence-creator-went-very-very-deep-in-the-manosphere-its-appeal-scared-him/

Netflix作品『アドレセンス』は、極めてセンセーショナルな作品です。あらかじめ決められた一連の動きを現場で構成し“ワンカット”撮影が行われています。作品を見てもらえればわかりますがワンカットによる映像は、もはや視聴というよりも“体験”に近いものがあります。

 本作の特徴は、映像編集を行わず、各エピソードがリアルタイムで進行するワンショット撮影により、視聴者に緊張感と没入感を与えていることです。

この作品が印象的なのは、あえて編集を排しているようでいて、実は“現場での編集”とも呼べるような、緻密な構成と動きの連続で成立していることです。つまり、編集はポストプロダクションだけの話ではなく、カメラの動きや登場人物の配置、照明の変化といったすべてが編集的に設計されています。

『A Place Beyond Time』(邦題:「時を超えた、特別な場所」)

シンガポールの高級ホテル「マリーナベイ・サンズ」のブランドキャンペーン映像。セリーヌ・ソン監督による映像は、ただのプロモーションではありませんでした。

ラグジュアリーな空間の美しさを映し出しながらも、ホテルでの体験によって得られる“非日常”“記憶”に光を当てています。この映像体験は、どこか時間そのものを表現し、まるでタイムトラベルしているような体験を与えてくれます。

この作品を視聴して、単なる美的演出を超え、感性に働きかけ、世界を見つめる視点そのものを変えてくれるような体験があると思います。

まとめ

映像編集は、映像の順番や入れ替え、エフェクトをつけることだけではなく、現実とは少し違う“もうひとつの見え方”をつくる力があります。

カメラに映るのは現実の一部ですが、映像編集を通すことで、それは誰かの感じ方や考え方が反映された「その人らしい現実」に変わっていきます。だからこそ、映像編集には自然とその人の個性がにじみ出てしまいます。正解が決まっていないからこそ、自由に、そして思い切って自分の視点を映像に込めることができる。私はそこに、映像表現のいちばんの魅力があると感じています。

編集によって見え方や感じ方が変わるとき、私はふとカントの「月の住民」を思い出します。もし人間とは違う感覚を持つ存在がいたとしたら、世界はどんなふうに見えるのか。そんな問いに、映像編集は近づいていける気がしていて、なんだか、ものすごい偉大なことをしているような気がしてます。

 観る人がふと何かに気づいた時や、つくる人が自分の視点に向き合った時の些細な気づきが、映像をより面白くするアイディアになるのではないかと思います。

この記事を書いた人

安藤興作
エレファントストーンのディレクター

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