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展示会が7月から開催「高畑勲」の魅力
『アルプスの少女ハイジ』『火垂るの墓』『かぐや姫の物語』といった数々の名作を遺し、日本アニメーションの礎を築いた巨匠・高畑勲(1935~2018)。
その足跡をたどる展覧会『高畑勲展――日本のアニメーションに遺したもの』が、2019年7月2日~10月6日の間、東京国立近代美術館 1階企画展ギャラリーで開催される。
▽高畑勲展公式サイト
https://takahata-ten.jp/
高畑勲の足跡
高畑勲は、東京大学でフランス文学を学び、東映動画に入社。
68年に『太陽の王子 ホルスの大冒険』でアニメーション監督デビューを果たすと、『母を訪ねて三千里』『アルプスの少女ハイジ』『赤毛のアン』などのテレビ名作シリーズ、さらに『思いでぽろぽろ』『火垂るの墓』などの劇場用アニメをヒットさせる。
13年に公開された『かぐや姫の物語』が惜しくも遺作となってしまったが日本、いや世界を代表するアニメーション映画監督の一人だ。
スタジオジブリの光と影を捉えたドキュメンタリー映画『夢と狂気の王国』
高畑勲とはいったいどのような人物であったのか?
それを解き明かすためのヒントとなる作品が一つある。
荒井由実「ひこうき雲」のミュージッククリップを手がけた砂田麻美氏が、2013年に監督したドキュメンタリー映画『夢と狂気の王国』だ。
▽夢と狂気の王国公式
http://yumetokyoki.com/index.html
東京小金井市にあるスタジオジブリ本社を舞台にした本作は、『風立ちぬ』を製作中の宮崎駿監督に密着。撮影中に宮崎駿監督は、高畑勲のことを毎日のように話しつづけたという。
スタジオジブリの影の功労者として知られ、冷静沈着なプロデューサー鈴木敏夫氏もまた、高畑勲の話題になると口調に熱がこもる。
だが、高畑勲本人は作中ほとんど姿をあらわさない。当時『かぐや姫の物語』の製作に奔走していたからだ。
その『かぐや姫の物語』のプロデューサー西村義明氏(現・スタジオポノック)が、「あからかに高畑勲という人がいなかったらスタジオジブリというものはなかった」と述べているように、スタジオジブリは『風の谷のナウシカ』での共同製作がきっかけとなり、1985年に高畑勲が宮崎駿監督と鈴木敏夫氏を勧誘するかたちで設立された会社だ。
高畑勲は宮崎駿監督の5歳年上にあたり、東映動画で出会ってからというもの二人は15年にもわたってタッグを組みつづけた。はじめは師弟の関係であったが、ともに過ごす時間が長くなるにつれ盟友となり、次第にライバルのような関係へと変わっていったという。
高畑について「人格破綻者」「(ここ数年)いっさい関わりを持たない」と述懐する宮崎駿監督の言葉の端々にライバルへの生半可ではない愛憎が滲み、それは観る者に強烈な印象を残す。
高畑勲監督が見た「美しく呪われた夢」
高畑勲は、皆から「ナマケモノの子孫」と噂されるほど遅筆の作家でもあった。
「誰も高畑さんのスケジュールに関しては信じない」と西村義明氏が半ば諦め気味に吐露しているが、『かぐや姫の物語』は完成までに8年の歳月を要している。
作品以外のことはいっさい顧みない完璧主義者としても知られ、1カットの作画に費やした枚数は、TVアニメシリーズ1話分に相当(たった3秒のシーンに300枚もの作画が必要)。
その膨大な手間と暇がかけられた手書きの線をデジタル技術によって生かした水墨画調の画は、前作『ホーホケキョとなりのヤマダ君』の作風を発展的に継承したものであり、スタジオジブリで最高の成果と称されるほど国内外での評価は高い。
▽かぐや姫の物語公式
http://www.ghibli.jp/kaguyahime/
しかし、この一度見たら忘れられない淡い夢のような物語は、高畑勲の巨大な才能のあらわれであるとともに、スタッフの血と涙の結晶であり、プロデューサーの献身と忍耐の賜物でもあるのだ。
長年、高畑作品を支えた伝説的なアニメーター近藤喜文(1950~1998)は、「高畑さんは僕を殺そうとした。高畑さんのことを考えると、いまだに体が震える」と鈴木敏文氏に涙ながらに語ったこともあるという。
宮崎駿監督がいうように、すべてのアニメーション作家の観る夢は、狂気と背中合わせであり、「よかれと思っていても美しく呪われている」のかもしれない。
ドキュメンタリー映画『夢と狂気の王国』では、「守るものがある人はそばにいないほうがいい」という現場スタッフの忌憚のない意見や、監督(宮崎吾郎氏)VSプロデューサー(元ドワンゴの川上量生氏)の激しい戦いも収められている。スタジオジブリの放つ眩い光とともに、その影をもくっきりと映し出したクリエイター必見の内容なので、未見の方はぜひ観賞してほしい。