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手持ち撮影の今昔 外伝〜おすすめの映画編〜

手持ち撮影の今昔 外伝〜おすすめの映画編〜

こんにちは、プロデューサーの三枝です。

ただいまダイエット中で、日々筋トレに勤しんでいます。特に上腕三頭筋を引き締め中でして、ダンベルを握りながら、昔のアリフレックス(arriflex)に比べたら軽い軽い…とか考えていると力を振り絞れるので、皆さんにもおすすめです。(?)

前回はそんな手持ちカメラについて、どういう使われ方を辿ってきたかを記事「100年の変遷を辿る。手持ち撮影の今昔〜日本編〜」で解説しました。今回はさらに当時の日本映画2本を例に、実際に手持ちカメラがどのように使われていたかをご紹介していきたいと思います。どちらも面白い作品なので、皆さんぜひ上映の機会やパッケージを手に入れて観てみてくださいね!

60年代日本。手持ち撮影の立役者たち

この項は前回の記事のおさらいです。いわゆる手持ちの撮影は、今でさえスマートフォンで誰しもが親しんでいますが、実は戦後まではあまり一般に普及しなかった手法でした。

「ぶれていて見づらい」

手持ち撮影はそんな印象を持たれていました。

しかし、1960年前後に生じたテレビや8ミリカメラブーム等をきっかけとして、手持ちで撮影された「揺れる画面」も徐々に親近感を帯び始め、表現者からも視聴者からも、その抵抗が薄れていきました。

また、それだけではなく、手持ち撮影のクオリティを追い求めた映像作家やカメラマン達の努力も類稀なるものでした。むしろ手持ち撮影でこそ味わえる、そんな技術を彼らが磨いていったことは、手持ち撮影が受け入れられてきた理由の一つだと思います。当時の日本の手持ち撮影は、それはもう粒ぞろいです。

さらに時代が進むとステディカムやジンバルなど、激しく動いても大きく揺れることなく撮れるような技術が磨かれていくのですが、それがなかったこの時代の手持ち撮影には、それ特有の味があるのです。今回はそんな当時のおすすめ映画をご紹介したいと思います!

『とべない沈黙』と鈴木達夫カメラマン

手持ち撮影といえば、の鈴木達夫カメラマン。中でも映画『とべない沈黙』の冒頭の少年が蝶を追いかけるシーン。このシーンは蝶の視点で手持ち撮影されており、息を呑む美しさです。少年の視点と蝶の視点が交互に切り替わり、まさにアクション映画の定番「追いかけっこ」の手持ち撮影バージョンとして名シーンです。

撮影監督の鈴木達夫氏は、手持ち撮影で蝶の動きを再現しながら虫取り網を振りかざす子役の少年を撮影しました。このショットが本当に素晴らしく、画面は激しく動いているのにしっかり中央で少年を捉えているんです。鈴木達夫氏のもとで撮影助手も務めていた大津幸四郎カメラマンはこのように語っています。

ともかく、撮るときにはちゃんと三脚を立ててというのが岩波にいたころの絶対条件ですよね。それに対して鈴木達夫さんなんかが一九六〇年くらいから手持ちのキャメラワークをやるわけです。いまではそれは当たり前のことだし、手持ちが楽にできるように考慮されたキャメラが造られている。ところがそのころはそんなものはないわけです。そのなかで手持ちをする、そうすると多少はブレますよね。すると「見にくい」とか何とか必ず文句がくるわけです。

〔中略〕

ところがだんだんアヴェイラブルライトで、状況に応じて手持ちを使って撮影が行われるようになってきて、いかにブレないでシャープで生きのいい映像を撮るかということが技術的な要請になってくる。「あ、アイツの手持ちは上手い」となるわけです。そのなかでピカイチになっていくのが鈴木達夫さんでした。あの手持ちは本当に上手いです。
(大津,『撮影術 映画キャメラマン大津幸四郎の全仕事』、p.17)

鈴木達夫氏は同業者も認める「手持ちの上手い」カメラマンだったことがわかります。

さらにこの映像が素晴らしい点は、まず被写体の動きを正確に捉えていること。そしてその手持ちで撮影された映像を最大限に引き立てる撮り方のバリエーションを心得ていることにあると思っています。蝶を追いかけるシーンでは、やみくもに手持ち撮影だけを使うのではなく、遠景で2者を捉えたり、ブランコを使用して特撮的なショットを織り交ぜたりと、アクションのバリエーションを持たせて撮影しています。

『東京战争戦後秘話』と新しい物語表現

次は少し変わり種かもしれません。映画『東京战争戦後秘話』では、手持ち撮影はかなり特殊な使われ方をしています。60年代の8ミリブームの影響もあり、カメラが身近な道具として浸透していたことの反映なのか、POV(視点映像)はもはや生身の人称視点としてだけではなく、「劇中で回されるカメラ」の視点という役割も果たすようになったことが分かります。

この作品の冒頭では、画面が道端を写している中で「カメラ返せよ!」という男性のセリフが聞こえてきて、「どうやら今は誰かが回しているカメラ視点の映像が流れているのだな」ということが分かります。そしてたちまちカメラは激しく揺れ、撮影者がその男性からカメラを抱えて逃げているであろうことがそのカメラ視点を通じて理解できるのです。そして、この撮影者が一体誰だったのかは、物語を通じて最後まではっきりとは明かされないのです。

さらに、物語のラストで全く似た状況が再現されるのですが、ここにもあっと驚く仕掛けが。この映画を通して、手持ち撮影だからこそ表現できる新しい物語の伝え方があることが分かります。

まとめ

今回ご紹介した二つの手持ち撮影手法は、いずれも撮影者と被写体とのフィジカルな関係性があってこそ生まれた映像でした。

60年代、手持ち撮影が爆発的に普及する前との大きな違いは、カメラが揺れることによって「神の視点」のような役割が弱まり、逆に主体としての性質が強まるところにあるのではないでしょうか。また、手持ち撮影が取り入れられたからこそ、被写体とのアクションを通じてその演技をより効果的に引き立てることができているように思いました。被写体もカメラも、お互いに阿吽の呼吸で映像をより良いものに仕上げているのですね。

今やジンバル撮影も多く採用している映像業界ですが、この当時の撮影への考え方は今も変わっていないように感じます。

この記事を書いた人

三枝茉央
エレファントストーン プロデューサー

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