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100年の変遷を辿る。手持ち撮影の今昔〜日本編〜

100年の変遷を辿る。手持ち撮影の今昔〜日本編〜

こんにちは。プロデューサーの三枝です。
本記事のテーマは「手持ちカメラ・手持ち撮影の歴史」です。

わたしは映像業界に憧れを抱いていた学生時代に、映像のデジタル化に代表されるような「テクノロジーの流れに応じて表現もどんどん変わっていく過程」が面白いなと思い歴史を調べていた時期があります。

中でも手持ち撮影は、今では一番身近で手軽な方法かと思います。しかし実は、プロフェッショナルとアマチュアのなかで、時代に応じて使われ方や難易度も全然違うので、特に面白いと思っている技法です。

そこで、いろんな撮影の手法を試したいと思っている方、過去の映画から制作のヒントを得ようとしている方に向けて、わたしが調べてきた日本での「手持ち撮影」の今昔についてご紹介したいと思います。

飛び道具?“手持ち”が与える効果とは

今の時代にプロや作品撮りの世界での手持ち撮影というと、表現や印象を変えたい時に飛び道具的な感覚で取り入れられることが多いのではないでしょうか。

例えば、プロから見た手持ち撮影では、

  • 「POV(一人称視点)」
  • 「臨場感」
  • スマホなど身近なカメラを使用したような「手作り感」など、

そのような演出キーワードとともに連想され取り入れられます。
でもそれって、手持ちで撮影することが日常化した今の当たり前であり、今の時代だからこそ与えたいイメージに対して効果的な手法だと思うのです。

一方、この記事で触れる昔の手持ち撮影のキーワードには、

  • 「記録映画風」
  • 「隠し撮り」
  • 「被写体の自然体な姿」など、

今の時代に手持ち撮影を取り入れる理由とはちょっと違う要素が出てきます。

このように、時代によって手持ち撮影を取り入れる理由や背景は遷移しています。制作会社が手がける映像はほとんどが今の視聴者に向けたものですが、10年後、20年後には全く違う印象を受け取られている可能性もあるでしょう。

では今に至るまで、果たしてそのイメージはどう変化していったのか?
そして今後、どう変化していくのか?

手法から受ける印象の変遷をたどりたいと思います。

アイモ上陸!辞書にも載った手持ち撮影

1920年代、手持ち撮影が可能なカメラ「アイモ」が日本に導入されました。当時アイモは、三脚がなくても撮影でき、「軽い」「持ち運びしやすい」などの利点が注目されていました。

このアイモ導入の狙いは、当時ニーズが高まっていた記録映画や教育映画など、ロケが必要な撮影を行いやすくすることにあります。

アイモの知名度はみるみる高まり、広辞苑の他、特に新聞記事では手持ち撮影の代名詞として「アイモ」という表現が使われていたぐらいです。

(その後導入されるカメフレックスやアリフレックスなど)他のブランドを差し置いて「アイモ」が特権的に記載されているところをみると、長い間アイモが日本のニュース映画や記録映画界で親しまれてきたことがわかります。

そして時折、アイモのような手持ちカメラは、報道のためにニュースカメラマンが使用するだけではなく、劇映画の世界でも隠し撮りなどで徐々に使用が試みられるようになりました。当時主流だった従来のカメラに比べ、機動性はもちろんのこと、その小ささから撮影対象に気づかれにくくなる点にも着目されるようになったのです。

しかし、アイモはファインダーで確認できる視野が狭く、被写体を確認しながら移動すると足元への注意が疎かになり、ニュースカメラマンのなかには手持ちで撮影しながら転倒する事故も多かったようでした。

さらにファインダーがカメラの脇についているため、実際に撮影される画を確認することが不可能なカメラでした。特に対象に接近すればするほど、パララックス(視差)が大きくなり、狙った画をとらえることが難しい仕様で、手持ち撮影できるとはいっても、あくまで三脚や、静止した状態での撮影が主な用途でした。

つまり当時の手持ち撮影とは、ロケーションで、被写体とある程度の距離を取って行うものがメインとされていたのです。

アリフレックス導入! 監督「羽仁進」とプロデューサー「吉野馨治」、二人三脚の挑戦

1940〜50年代になると、「とにかく軽いから便利」という理由以上に、「撮影対象の自然体を捉えたい」そんな想いで手持ちカメラが選ばれる傾向がさらに強まりました。

羽仁進が監督した『教室の子供たち』は、小学校で子どもたちの様子を記録する上で

  • 演出を極力省く
  • カメラの存在を意識させない

このような2点を守り、子どもたちの自然な姿を捉える方針が打ち出されていました。

しかし当時、被写体に撮影の要領や話す内容を指示する(演出する)ことが当たり前、機材の存在も子どもにとっては好奇心の的で、隠し撮りをしようにも、教室という狭い空間では難しい状況でした。

これを受け、プロデューサーの吉野馨治とともに羽仁監督達は、あえて隠し撮りを行わないことにしました。教卓付近の目立つところにしばらく教室にカメラを置いた状態を維持し、子供たちをカメラの存在に慣れさせるという試みを行ったのです。

これを可能にしたのが、手持ち撮影が可能なアリフレックスというドイツ製のカメラでした。

35 ミリではあるが軽量で手持ちもでき、ファインダーを覗きながらレンズを操作することもできるという点で画期的なアリフレックスというドイツ製のカメラを使えたことが重要な点だった。これはまだ日本では大手の撮影所でも使われていなかったのだが、吉野馨治がカメラマン出身のプロデューサーであったからこそ、これこそ記録映画に必要なカメラだと認めて、輸入して使わせてくれたのだった。

〔中略〕

新しいカメラで記録映画の可能性を拡大させることを吉野馨治は積極的に進めた。

(佐藤忠男, 『黒木和雄とその時代』p. 22-23)

余談ですが、実はこのエピソードは私がプロデューサーになるきっかけでもありました。笑

「監督の目指す映像を実現するために、既存の選択肢にない手段を開拓する」

自分のキャリアの中でこんなことが1つでも実現できたらいいな、なんて思っています。

このように、映像作家たちが表現の幅を拡大するにあたって、手持ちカメラも時代に応じて性能を向上させてきたことがわかります。戦後は特に、海外からの新たな機材導入が進んだ時代でもありました。

手ブレ解禁!?大きく変わった手持ちの印象

1960年代、ヌーヴェルヴァーグをはじめカメフレックスやアリフレックスを活用した手持ち撮影の手法が新鮮な空気を帯びて導入されるようになりました。

なぜ新鮮だったのか。

それまでは三脚やレール上で撮影されることが多く、カメラ自体が激しく動くことはかなり珍しいことでした。しかし、この時代から著しく揺れたり動き回ったりと、撮影者の手ブレによってカメラが激しく動かされるようになったからでした。

この背景には、カメラに対する意識変化とテクニックの向上がありました。

これまで手持ちカメラは時として「隠し撮り」に使用されてきたと記載の通り、カメラは被写体にも、視聴者にも、存在を気付かれることはあまり良しとされてきませんでした。カメラが振り回されることによって画面が激しく揺れると、私たちは映像が誰かによって撮影されているもの=作られているものだと感じ、当たり前ながらふと我に返って集中が途切れてしまいます。

このように、当時は今以上に画面がブレる、揺れることが極端に嫌われていましたが、50年代からのテレビの登場や8ミリカメラブームにより、視聴者も手持ちで撮影される映像に慣れていき、徐々に抵抗が薄れていきました。

そして、世界的に新しい才能がカメラを自由に動かした映画を続々と発表することで、画面の揺れも表現の選択肢としてプロフェッショナルからも徐々に受け入れられてくるようになりました。(ここの経緯は大いに端折ってしまいました。また別の機会に。)

そうはいっても、観客を魅了する映像を撮る上では技術的な鍛錬が不可欠でした。

アリフレックスやカメフレックスは開発当初 5〜6 kgほどの重量で、こうしたものを1日中肩に担ぎ、特に俳優の動きにたいしても臨機応変かつ正確な操作をする必要があります。そういった背景から、60年代は手持ち撮影需要の高まりと同時に、鈴木達夫や川又昂、間宮義雄など手持ち撮影を得意とするカメラマンが続々と活躍を遂げた時代でもありました。

このように、60年代は社会と映像作家、両者の変化を経て、手持ち撮影の考え方がガラリと変わった時代でした。50年代に端を発するテレビ、シネマスコープ、長編カラーが定着した背景も含めると、撮影方法や映像表現はまさに目まぐるしい変化を遂げていますね。

さらにはこの後60年をかけて、家庭用カメラの普及や、ステディカムの開発、デジタル化など、映像制作にまつわるテクノロジーや撮影手段の幅は加速的に広がっていきました。

ひとつひとつが途轍もない発展ですが、特に手持ち撮影が手持ち撮影らしくなったという意味では、60年代が特に重要な時代なのではないかと思います。

まとめ

時代ごとに手持ちカメラの変遷や使われ方をざっくりとご紹介してみました!

カメラのテクノロジーが発展すればするほど、撮影はアマチュアにも身近な存在になっていきました。
今やデジタル化やスマートフォン撮影も加わり、高画素、高感度、AI機能など性能の進化が止まないですが、いうまでもなく手持ち撮影も新たな文脈の中で印象を変えています。

今回は「手持ち撮影の今昔」として時代の中で手持ち撮影がどう変遷していったのかをたどりましたが、このようにたまに技術の変遷を歴史的に振り返ってみると思わぬ発見があるかもしれません。その中でも、今回ご紹介したような表現を刷新していった人たちの行動は、当たり前や定番を見直すことから始まっているように感じます。

新しいテクノロジーや機材にキャッチアップするだけではなく、視聴者の視点や時代の流れにも敏感でいることも重要なのかもしれません。近い未来、新しい当たり前がどのように生まれていくのか、常にアンテナを張っていたいですね。

手持ち撮影の可能性も無限大です! ぜひ新たな表現を開拓していってください!

この記事を書いた人

三枝茉央
エレファントストーン プロデューサー

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