MARKETING
「役を生きる」ように、顧客を理解する。メソッド演技のルーツ:スタニスラフスキー・システムから学ぶ、マーケティングに効くペルソナ設計

こんにちは。エレファントストーン ディレクターの久岡です。
私は普段、広告映像ディレクターとして映像制作の現場に立ちながら、もう一つの顔として「プレイカンパニー空集合」という劇団を主宰し、演劇作品の脚本・演出も行っています。
かれこれ15年以上舞台脚本を書き、役者の演出をし、観客に伝えるという営みを続けてきました。その中で常に直面してきた問題の一つが、「人間をリアルに描くとはどういうことか?」という問いです。そしてそれは広告映像の世界において、ペルソナ設計の場面でも近しい問題であると感じています。
役づくりのプロセスは、マーケティングのペルソナ設計に活かせるのではないか?そう思い、この記事では、俳優の役づくりで用いる技法を、広告映像のペルソナ設計に活かす方法を私なりにまとめてみました。
スタニスラフスキー・システムからペルソナ設計にアプローチしてみる
突然ですが、皆さんは、「メソッド演技」って聞いたことありますか?映画『ゴッドファーザー』のマーロン・ブランド、『タクシードライバー』のロバート・デ・ニーロ、『ジョーカー』のホアキン・フェニックス。彼らは「役になりきる」ことを超えて、観客の前で“生きる”演技をする俳優たちです。
この演技法は「メソッド演技」として知られ、俳優が役柄を演じる際に、自身の過去の経験や感情を深く掘り下げ、役柄と共感することで、よりリアルで自然な演技を目指す演技法のことを言います。実はこの演技法の源流にあるのが、20世紀初頭のロシアで誕生したスタニスラフスキー・システムです。スタニスラフスキー・システムとは、近代のリアリズム演技の技法で、それまでの演技が外側の形式(悲しい時は顔を下げるなど)による部分が大きかったのに対して、人間の「内面(感情)」を演じられる俳優を育成するために確立された「体系化された俳優トレーニング法」なのです。
私は、このスタニスラフスキー・システムが、現代マーケティングにおける「ペルソナ設計」にも応用が利くと考えています。今の時代、ペルソナ設計においてマーケターに求められているのは、単に「30代・女性・既婚」などの統計的記号を設定することではありません。その人の“人生”を想像し、彼・彼女の中で生きることが、深い共感と刺さる表現を生む鍵になるのです。
そこで今回は、スタニスラフスキー・システムで頻出する3つの概念
- 超目的(Super Objective)
- 行動(Action)
- 魔法のIF(Magic If)
をベースに、演劇的役づくりとマーケティングのペルソナ設計を結びつけ、実践的な応用まで、私見を述べてみようと思います。
超目的(Super Objective)人は「何を達成するために生きているのか?」
スタニスラフスキー・システムの根幹は、「人は目的をもって生きている」という考えです。そして、その中でも最も大きな人生レベルの目的を「超目的(Super Objective)」と呼びます。
例えば、ある役が劇中で「恋人と別れる」「仕事を辞める」といった行動をしても、その背景には「本当に愛されたい」「誇りを取り戻したい」などの超目的があると捉えます。物語全体を通して、その役が何を目的として動いているかを考えることで、演技が生きたものになっていくという考え方です。この考え方をマーケティングに応用するとどうなるか?物語を通しての役の目的は、ターゲットの生き方に置き換えられます。
消費者の購買行動を考えてみましょう。「時短家電としてロボット掃除機を売りたい」とします。一般的に消費者は、ロボット掃除機に対して、価格やメリット・デメリットを考えると思います。しかし、実はそれだけではなく、「ロボット掃除機のある生活」がその人にとってどんなイメージになるかという、その人の生き方やライフスタイルも購買に大きな影響を与えます。
だから「顧客は何を買いたいのか」ではなく、「顧客はどんな人間でありたいのか?」を考えることは非常に重要なのです。
仮にロボット掃除機のターゲット設定を「30代主婦、時短家電に関心あり」とした場合、単に価格や商品のメリットを提示するだけではなく、その商品があることでその人の生き方にどんな影響を及ぼすかまで見せてあげると、ターゲットは購買行動を起こしやすくなります。
ターゲットの超目的を考え、例えば「“ちゃんとしている母親”という理想像を手放したくない」というところまで落とし込みます。そうすることで、ターゲット設定のままでは、「“忙しい母”のための時短家電」というアプローチで止まってしまっていたものを、「“理想の母”であり続けたいあなたへ」というコピーまで昇華することができるのです。
行動(Action)身体から感情へアクセスする
スタニスラフスキーは「感情は頭でつくるものではなく、身体から生まれる」と考えました。これがサイコフィジカル(Psychophysical)という概念です。
感情と身体は相互に影響し合い、たとえば背中を丸めて呼吸を浅くすれば不安になり、胸を張って深く呼吸すれば自信が湧いてくる。俳優はこの関係を利用し、動作や姿勢、呼吸の変化を通じて感情を“再現”するのではなく“呼び起こす”のです。
例えば、下記のようなシーンがあったとします。
上司の机の前にいる部下。上司が机を叩く。
上司「今日はもう帰っていいから。」
部下「すいません。」
上司が部下に怒り、愛想を尽かして帰らせるシーンです。ですが、下記の場合はどうでしょうか?
上司がうずくまる部下の背中をさすりながら。
上司「今日はもう帰っていいから。」
部下「すいません。」
こうすると、部下を心配して家に帰してあげる上司になります。このシーンを演じる時に、俳優はどうしても「怒り」をこめるや「心配する」気持ちを入れてしまいがちですが、一旦それを忘れて行動だけ意識してセリフを出してみる。机を叩く。部下の背中をさする。行動にのみ焦点をあててセリフを吐くことで、感情を込めようとしていた時よりも驚くほど演技にリアリティが生まれたりするのです。この身体から感情へアクセスする方法は、マーケティングでも非常に重要なヒントになります。
例えば、湿布の広告映像を考えるとします。
「湿布で楽になって喜ぶ人」を、湿布を肩に貼って「この湿布で楽になる!」とだけ描写するよりも、行動に焦点を当てて考えてみましょう。
仕事中に肩を何度も揉みながらPC作業をしていた人が、湿布を貼ることで肩を揉む動作がなくなり、「仕事が捗る!」と喜ぶ。そんなシーンを描写した方がリアリティがあって、より共感を得られる広告映像になります。湿布を貼って喜ぶだけでは見えてこなかったものが、湿布を貼ってスイスイ作業をする様子によって見えてきます。ペルソナの“身体的リアリティ”を丁寧に想像することで、その人の行動や言葉の背景にある感情が見えてくるのです。言い換えれば、「身体のストレスを軽減する」ことは「感情的な満足や安心につながる」。これを理解していると、広告のコピーも変わります。「楽になる湿布」が「仕事が捗る湿布」になり、具体性と共感性を帯びてきます。
スタニスラフスキーが重視したように、感情とは生理的な反応でもあります。だからこそ、ペルソナを設定する際には、その人の身体の状態——歩き方、食べ方、姿勢、声の出し方など——まで想像することが、真に血の通った設計につながります。マーケティングにおいても、ユーザーを「頭で考える存在」ではなく、「身体を持つ人間」として捉える視点が、共感を超えた“共振”を生む鍵になるのです。
魔法のIF(Magic If)「もし自分がこの人だったら?」という想像力
「魔法のIF(Magic If)」は、スタニスラフスキー・システムの中でも最も根源的で、かつ多くの分野に応用可能な概念です。俳優は演じる役柄に対して「もし自分がこの登場人物だったら、どう感じ、どう行動するだろう?」と問いかけることで、役と自己の距離を縮めていきます。このIFは、単なる想像ではなく「現実感を持った仮定」です。
重要なのは、俳優は実際にその人物の人生を生きたわけではないということです。しかし、「もし自分が子どもを失った経験があったら」「もし明日が人生最後の日だったら」と真摯に想像し、その状況に身を置くことで、理屈ではなく感覚で共鳴する。それが「魔法」のようなリアリティを生むのです。
マーケティングにおいても、この「魔法のIF」は極めて有効だと考えます。多くのペルソナ設計は、「年齢」「年収」「居住地」などのスペック情報から構成されます。しかし、それだけではその人の感情や価値観、苦しみや喜びは見えてきません。そこで、マーケター自身が「もし自分がこのペルソナの状況にいたら?」と、自分自身に仮想的に問いを投げかけてみるのです。
例えば
- もし自分が毎月18万円の手取りで、シングルマザーとして子育てしていたら?
- もし自分が60歳で定年退職を目前にし、周囲からの必要とされる感覚を失いかけていたら?
- もし自分がSNS上で他人の成功ばかりを目にして劣等感に苛まれていたら?
このように、「魔法のIF」を使ってその人の人生に一度入り込んでみることで、自然とその人の使う言葉、欲しがるサービス、避けたがる広告表現などまで見えてきます。
さらに言えば、「魔法のIF」を繰り返すことで、ペルソナは“紙の上の設定”から“自分の中に生きる誰か”へと変化させることができます。
広告コピーやビジュアル表現、ブランドストーリーの設計においても、「この言葉をこの人が読んだら、どう感じるだろう?」というIF的視点を持つことで、届き方はまったく異なってきます。
例えば、単に「30%OFF」と言うのではなく、
- 「今日は、欲しかった服に“YES”をあげる日。」
- 「肌と心にご褒美を。」
- 「今日くらい、甘くていいじゃない?」
などと言った「“今日だけは、自分を甘やかしていい”と思える一言」の方が、その人に刺さる可能性があります。(もちろん30%OFFが刺さる場合もあります。)
「ターゲットとして理解する」のではなく、「その人として生きてみる」。この演劇的アプローチは、数字では測れない“生きた人物像”を創り出し、広告や商品企画に人間らしい深みをもたらします。魔法のIFは、想像力を現実的に変換するための最も人間的で、最もクリエイティブな技術だと感じています。
マーケターがこの技術を習得することで、そのアプローチも劇的に変わるはずです。
届けたいのは、「情報」ではなく「誰かの生」
ここまで述べてきたように、スタニスラフスキー・システムをはじめとする演劇の「役づくり」は、マーケティングにおけるペルソナ設計に強い示唆を与えてくれます。これは劇団を主宰しながら、広告映像ディレクターをし、かつ事業会社のマーケティング部でのクリエイティブディレクターの経験もある私は、特に日々強く実感していることでもあります。広告も、演劇も、突き詰めれば冒頭に述べた問いに向かうのかもしれません。
「人間をリアルに描くとはどういうことか?」それは「人は、何を信じて、何を恐れて、何を求めて生きているのか?」を考えることでもあります。私は広告映像ディレクターとして、演劇の技法を知ることにより、
「架空の人物(ペルソナ)に血を通わせること」
「言葉に背景を持たせること」
「商品と“誰かの人生”をつなぐこと」
ができるようになっていくのではないかと信じています。
「人を撮る」こと、特に「芝居を撮る」ことにおいてもそうです。企業VPや採用映像で社員の方が出演するケースでも、自然に「その人らしい表情」が出るように導くこと。俳優が登場するCMで、キャラクターの背景や感情線を短時間で共有し、リアリティを引き出すことなど、演じる手法は、人の心の動かし方でもあります。
届けたいのは、「情報」ではなく「誰かの生」。本気でペルソナを考えるとき、人は役者になる。単なる情報ではなく、そこに命を吹き込んで提供する。それが広告映像の役目なのかもしれません。