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『天才とは何か?』ポール・トーマス・アンダーソン(通称PTA)のテクニックの探究

『天才とは何か?』ポール・トーマス・アンダーソン(通称PTA)のテクニックの探究

画像出典:https://www.bitters.co.jp/phantomthread/

こんにちは、映像ディレクターの安藤です。

最近は仕事の関係上、過去に見た何千という映画を見直すことが多くなり、映像の演出や構成要素について分析することにハマっています。特に最近見直しているのがポール・トーマス・アンダーソン(通称PTA)の作品です。PTA監督はこれまで、26歳に『ハードエイト』(1996年公開・日本未公開)で長編デビューしてから、2021年に公開された『リコリス・ピザ』まで9本の長編映画を手がけています。

これまでに手がけた長編映画は9本と寡作でありながら、彼は史上初めて世界三大映画祭で監督賞を全て獲得したという偉業を達成しています。映画好きの多くは、彼は「天才」だと語るのではないでしょうか。そんな天才監督PTAですが、実際何がすごいんでしょう?何故みんなから「天才」と称されるのでしょうか?

そこで今回は、PTA監督の映画におけるテクニックを分析してみましょう。

PTA監督映画の特徴“「没入感」をもたらす映像空間”

PTA監督作品は時代の流れとともに変化しています。PTA監督の初期の映画は、スタイリッシュでキレのいい演出で展開されており、ドラマチックでわかりやすい作品が多い印象です。一方で、後期の映画は知的で内省的な演出スタイルに変化しています。(2022年に公開された最新作『リコリス・ピザ』では、初期のスタイルに戻りつつあるように感じます。)

そのため、後期の作品は、「難解だ」「理解しにくい」と言われることがよくあります。だからこそ、公開された映画は常に議論を呼び、深く心に刻まれるような“傑作”となっているのですが、実際に一度観ただけで“理解できる”映画は少ないと思います。

その理由は、キャラクターの内面を直接説明するナレーションや状況をわかりやすく説明する演出を極力省略しているところにあります。PTA監督の映画は、映画の深みを維持するため限られた情報のみで構成することで、より洗練された独自の世界観が保たれているのです。そして、その独自の世界を構築する上で細部にまでこだわりを見せるため、“完璧主義者”と言われることもあるようです。

PTA監督映画に、2018年に公開された『ファントム・スレッド』があります。

1950年代のロンドンを背景に、名高いドレスデザイナーのレイノルズ・ウッドコック(ダニエル・デイ=ルイス)と彼の恋人アルマ(ヴィッキー・クリープス)の複雑な関係を描くロマンス映画です。

本作の魅力の中心にあるのは、洗練された美術と豪華な衣装たち。主人公であるレイノルズ・ウッドコックは、オートクチュールのドレス作りに狂気的な情熱をかけており、その集中力と熱意には、僕も1人のクリエイターとして感銘を受けるものがあります。

映画内では、そのクリエイターとしての純粋な熱意とこだわりを“本物”と見せるべく、衣装デザインにかなりのこだわりが見えます。実際、衣装は使用する生地や製造方法の正確性に細心の注意を払っていたそうです。結果、『ファントム・スレッド』はアカデミー衣装デザイン賞を受賞しました。

どの映画でもこうした美術の正確さと細部へのこだわりによる“信頼できる”映像空間をつくる点がPTA監督の魅力の一つと言えると思います。PTA監督のつくる映画はフィクションではなくドキュメンタリーのようであり、まるでキャラクターが本当に生きているかのように感じられたという方も多いのではないでしょうか。

卓越したチームワークによる“ロングテイク/長回し”

PTA監督は映画で信頼できる現実的な世界を構築するために、計り知れない労力と情熱を注いでいるはずです。そして、その熱意は監督だけのものではありません。

これまでの傑作が生まれた背景には、PTA監督と共通の目的とビジョンを共有する映画制作スタッフがいます。制作に携わる全員が一丸となって、卓越したチームワークを示しているのは間違いありません。それは、PTA監督の撮影テクニックの中からも垣間見ることができます。

PTA監督は“ロングテイク/長回し※1”を多用します。長回しは、その持続的な臨場感が最大の特徴です。カットせずに映像を続けることで、まるでその場にいるかのようなリアルな感覚を観客にもたらします。

この技法は、PTA監督だけが使用している訳ではなく、多くの映画監督も特定のシーンを際立たせるために使用していますが、この効果を最大限に引き出しているのはPTA監督のような一部の監督だけだと感じます。

1997年に公開された『ブギーナイツ』では、冒頭から3分半ほどテクニカルな“ロングテイク/長回し”を披露しています。

そのロングテイクでは、カメラがホット・トラックス・ディスコを飛び回り、2人の人物を追っているかと思いきや、すれ違う別の人物に焦点を変えるなど、複数のキャラクターに次々と視線が移ろい、映画の持つ世界観とキャラクター同士の関係性をスタイリッシュに伝えています。このカットではこれからの展開を予想させるとともに、ディスコ内のスピード感と勢いによってカルチャーの衰退や時代による価値の移り変わり、儚さを象徴しているようにも見えます。

−と、そこまで深読みさせてくれるような描写はまさに“完璧主義的”で“信頼”できる映像空間。これは卓越したチームワーク無くして実現するのは難しいでしょう。

こうした“ロングテイク/長回し”は、スタイリッシュな演出だけではなく、PTA監督作品に登場するユニークなキャラクターの言語化できない感情にクローズアップする演出にも使用されます。

※1 ロングテイク/長回しとは、一切のカットなしにカメラを連続して動かす撮影技法のことを指します。

ユニークなキャラクター造形と“カタルシス”

PTA監督の映画の世界には、常に独特でユニークなキャラクターが登場します。油田王、カルト教団の教祖、セックスのスペシャリスト、ツーショットダイヤルの事業者等、異色で魅力的なキャラクターたちが登場します。

PTA監督は、そんな共感しにくい複雑なキャラクターを観客の心を巻き込むような心理的な感情を伴うチャーミングな“人格/ペルソナ※2”につくり上げていきます。実際、作品内の中心的なキャラクターの多くは人々を魅了する特異な才能を持っているものの、その強烈な信念や執着は時に人物を孤立させ、自らを破滅へと導いてしまう…そうした描き方をすることが多いように感じます。

彼らの生き様や一見相反する性質は観客を引き込み、矛盾する外的側面を一つの“解決策(カタルシス)”に導くこともあります。

「貧しい家庭や厳しい環境で育ったが、特定の才能や機会を掴んで社会的な成功を収める」
「平凡だった主人公が、突如として特殊能力を身につけ勝ち目がなさそうな勝負に勝利する」
「冤罪だった主人公が、逆境の中で未来を切り開く」

こうした展開パターンは、最後にスカッとしますよね。この“カタルシス※3”は視聴者を飽きさせない展開として、PTA監督作品以外のあらゆる映画でも応用されています。そして、そのカタルシスの良し悪しによって、映画の印象が揺らぐことはよくあります。カタルシスは、視聴者に快感をもたらしたり、不快感を煽ったりすることがあり、観客の人生観を変えてしまうような可能性を秘めている演出といえます。

中でもPTA監督のカタルシスの方法は一般的なハリウッド映画のそれとは異なり、より緻密で深く心に響くものです。美術や細部にまでこだわり、信頼感のある映画空間をつくり出すからこそ、キャラクターの心情や背景に深く入り込むことができ、視聴者により強い感情移入を促します。

その結果、彼の作品のカタルシスは単純な「スカッとする」感情の解放ではなく人間の普遍的な本質に触れるものになっているのです。

2012年に公開された映画『ザ・マスター』という映画があります。

第二次世界大戦後のアメリカを舞台に、マスターと呼ばれる新興宗教のリーダーのランカスター・ドッド(フィリップ・シーモア・ホフマン)と復員兵フレディ・クエル(ホアキン・フェニックス)2人の男の関係を描く作品です。

劇中、フレディ・クエルとランカスター・ドッドが行う「プロセシング」というシーンが出てきます。「プロセシング」では、フレディ・クエルの顔が途切れることなく映される“クローズアップの長回し”映像が続きます。

そのシーンでは、フレディ・クエルが前半の穏やかな雰囲気から後半の狂気へと代わり、ストレスが限界を超えて会話のボルテージが上がっていく様子が映し出されていきます。会話がピークに達すると、緊張感から解かれるようにフレディ・クエルの理想の原風景にカットが切り替わるのですが、こうした「プロセシング」のシーンは、まさにカタルシスと呼べるような、緊張感と開放感が伴っているといえます。

そして、この演技中の微細な表情や声の変化は、PTA監督の真骨頂と呼べるような演出といえます。観客には小さな動きや感情の変化が大きな出来事のように感じられるのです。

PTA監督の作品に共通するのは、このようなキャラクターたちの内面に焦点を当て、彼らの欠陥や闘争をリアルに描写することです。視聴者は現実に生きる人間を本当に“観察”しているような新しい視点がもたらされます。

※2 ペルソナは「人格(Persona)」の意味を持つ単語です。元は、俳優が演技をする際に役の仮面をかぶることを指していましたが、そこから転じて、人格や性格などを意味するようになったといわれています。

※3 カタルシスとは、悲劇に共感することで心が浄化される現象を指します。ここでは、心に溜まった抑えられていた感情が、ある出来事をきっかけに一気に解放され、それにより心がスッキリする感覚を指します。

PTA監督作品から考える“クリエイティブとは何か?”

PTA監督の映画は、その独特のキャラクター造形、深遠な心理描写、洗練されたカメラワークの調和によって際立つものになっています。そして、これらの才能が、彼が他の映画監督とは一線を画す「天才」として称される理由なのだと思います。

ただその特徴は天性のものであるだけではなく、PTA監督の作品やインタビューを詳細に見ると彼が他の映画監督や映画からどれほど影響を受けているかがわかります。例えば1993年に公開されたロバート・アルトマンの『ショートカッツ』のような複雑に絡み合うストーリー展開やキャラクター描写が、自らの『マグノリア』にも深く影響を与えていると公言しており、PTA監督は、他の映画監督や作品から受けた影響を率直に受け入れ、それを独自の作品として昇華する能力も持っています。

これは、彼のクリエイティブなプロセスが単独のものではないことを意味します。新しい作品というのは、それが単なるオリジナルとして生み出されるだけでなく、過去の知識や経験に基づいて形成されるのかもしれません。

まとめ

アヒルは、表面上は穏やかに水面を泳ぐ姿を見せますが、実は水中ではその足かきを必死に動かして進んでいます。このアヒルの足の動きは、水面上ではほとんど認識できないものの、その努力の結果としてスムーズに泳ぐことができます。

PTA監督の作品を追う中で、彼もアヒルのように常人を超える努力や研究を続け、独自の視点や技術を磨き上げたからこそ「天才」と称されるような地位を築くことができたのではないかと感じました。

「天才」とは努力をしなくても良いものと捉えられがちですが、その背後には計り知れない努力や研鑽、そして独自の考えや技術が隠されていると言えるのではないでしょうか?

この記事を書くにあたって、いろんな映画をもっと見たいと思いましたし、自分の“オリジナル”の映像作品をどんどんつくっていきたいとも思いました。ディレクター 安藤の映画監督レビュー、皆さんにも楽しんで読んでもらえていたら嬉しいです。

この記事を書いた人

安藤興作
エレファントストーンのディレクター

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