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何故、eスポーツは流行に?
ゲーマーのプロ化と映像の関係を振り返る(その1)
2018年は『eスポーツ元年』と呼ばれ、たびたびeスポーツ(e-Sports)のニュースがインターネット上で見られるようになった。
eスポーツとは、「エレクトロニック・スポーツ」の略で、広義には、電子機器を用いて行う娯楽、競技、スポーツ全般を指す言葉であり、コンピューターゲーム、ビデオゲームを使った対戦をスポーツ競技として捉える際の名称である。
要するに、家で遊んでいたプレステ、ファミコンといったテレビゲームのプロである。それならば、腕に自信がある、あったという読者も多いのではないだろうか。
今では各種スポーツの大会でも競技の一つとしてeスポーツが検討されるようになり、一般社団法人日本eスポーツ連合も立ち上がった。
しかし何故、今になりプロ化が進み、そして国体やアジア大会などで一般の競技に混ざり、eスポーツがスポーツとして認められるようになったのだろうか?
まだ、eスポーツという言葉がなかった頃からさかのぼっていこうと思う。
「対戦」するゲームのプロ
元々、eスポーツといっても例えばRPGであるドラゴンクエストやファイナルファンタジーのプロはいない。「対戦」をする、つまりお互いが勝敗を競うゲームに今のところは限定されている。
eスポーツという言葉が出てき始める前からプロ化が盛んだったのは、FPS(ファーストパーソン・シューティングゲーム)を中心としたパソコンで遊ぶPCゲームと格闘ゲームと呼ばれるアーケードゲーム(ゲームセンターで遊ぶゲーム)であった。今では、『ぷよぷよ』のようなパズルゲームや『パズドラ』のようなスマホのゲームまで、多岐にわたるジャンルでプロが誕生している。
格闘ゲームといえば、『ストリートファイター2』を筆頭に遊んだことがあるという方も多いだろう。1990年代前半に一大ブームを巻き起こし、ゲームセンターに熱狂を巻き起こした。
ゲームは「プレーする」ものであった
1990年代中盤から後半、インターネットという言葉がなかった時代、ゲームセンターは格差が大きかった。上級者がいるゲームセンターは情報が下にも伝播し、うまい人たちだけで構成される。一方で、そうでないゲームセンターでは、のんびりと情報もなくプレーがされている。腕に覚えがある人は、「うまい人がいる」というゲームセンターに行き、まだ見ぬ強者と“一戦”しようと遠征をしていた。
こうして上手い人同士が交流したり対戦をすることで、ゲームセンターではコミュニティができ、「聖地」と呼ばれるゲームセンターも誕生した。
例えば、『バーチャファイター』であれば新宿の「SPOT21」や「スポーツランド」、「モア」、それ以外にも高田馬場の「ベットハーフ」など、時代に応じて強い人が集まるスポットができていった。多くが1プレーの値段が安く、ある程度行きやすい都内にあった。
当時、格闘ゲームを筆頭に、ゲームは「見る」ものではなく、自分たちがプレーするものであった。ゲームセンターでは大型筐体と呼ばれる(今でいう太鼓の達人のような)もので多少の人だかりができることはあったものの、それらは大道芸人のようなものであった。
協力プレー全盛の時代が到来
ところが、インターネットが登場ししばらくすると状況が変わっていく。
まず、こうした「対戦」をするゲームはその後低迷に陥った。対戦をするゲームが好きな人たちが上手くなるにつれ、新しいゲームはシステムが複雑化する。そうすると、初級者がプレーしても勝てない、敷居が高くて入っていけないからだと当時はよく言われていた。
また、ゲームの幅が広がったことで「対戦」にこだわる必要がなくなった。ファンタシースターオンラインやモンスターハンターのようにみんなで仲良くプレーすることが可能になり、そして家でオンラインを通じて協力プレーが可能になった。
こうして対戦ゲームは「廃れた化石」扱いになり、新作もほとんどでない状況となった。特に格闘ゲームはひどい有様だった。
ところが、日本のモノ作りの代表だったゲームは世界に広がっていた。気が付けば、徐々にアメリカやヨーロッパのほうがゲーム産業が盛んになっていったのだ。
ゲームへの投資が盛んになり一時の赤字も厭わず技術革新を急ぐメーカーもあった。こうして、ゲーム開発者にハリウッドの経験者を起用するなど優れたグラフィックや内容のゲームが登場し、先に上述したようなFPS、TPSといったゲームのクオリティがあがっていき人気を博したのである。
海外では気が付けば規模の大きなゲーム大会が開かれ、そこにスポンサーと賞金がつくようになっていったのだ。こうしてプロ化の流れは自然にできていった。
立ちはだかる法律の問題
日本はこうした流れの蚊帳の外だった。まず、日本ではゲームの大会に商品や賞金を出すことは難しい状態であった。一つは風営法の問題で、ゲーム大会で上位の人にあげる粗品をつけることが限度であったのである。
また、そもそもゲーム大会を主催するというのは非常に難しいことであった。家庭用ゲームであれば、それだけのテレビやゲーム本体を用意しなければならない。それにはお金と手間がかかる。実際には、有志が集まり、公民館などで自主的に開くといった活動はあったものの、ゲームを出すメーカーの方もほとんどが協力的でなく、あくまで草の根レベルであった。
ゲームセンターにあるゲームであれば『ゲーメスト』という雑誌があった。彼らは自主的にメーカー公認でゲーム大会を行ったり、自社でグッズとゲーム大会を開くショップを持っていたりなど力を入れていた。しかし、ゲームセンターが流行っているうちは良かったものの、インターネット時代の到来とともに情報の速度的に劣るようになり気が付けば1999年に廃刊の憂き目にあった。後任に『アルカディア』をアスキーから立ち上げたものの、こちらも2013年に隔月化、2015年に定期刊行は終了している。
また、上述のようなFPSのようなパソコンで遊ぶゲームは日本ではオタクの中のオタクの文化であった。日本ではテレビで遊ぶゲームが主流であり、日本でのメインストリームではなかったのだ。
こうして日本では長い間、突発的なものこそあれど、大きなムーヴメントが起こることはなかった。その間にスマホゲームが主流となり、「ガチャ」で課金してゲーム内の自分を強化するのが主流になった。
対戦するゲームと違い、お金と時間さえかければ「勝利」をつかみやすい。対戦するゲームでは努力は裏切るが、スマホゲームでは空き時間に楽しく快適なゲーム体験ができるからである。
さて、ここまで歴史的な下地を語るだけでも長くなってしまった。今、eスポーツという言葉が盛んに叫ばれるようになる下地は約10年ぐらい前から登場していったと私は考えている。
それこそ「映像」に関する話と関わることなのだ。次回、映像業界・配信とeスポーツについてお届けする。