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いまさら聞けない「映像」と「動画」の違いとは【第1回】

いまさら聞けない「映像」と「動画」の違いとは【第1回】

「映像」というと、以前は専門的な技術と知識を持ったごく一部の人だけが手がけるプロフェッショナルな営みでしたが、インターネットメディアとスマートフォンの登場によって、現在では誰でも手軽に作ることができるきわめて身近なコンテンツになっています。

“容量”という概念から解放されたような夢の5G時代で、かつてないほどの動画視聴に明け暮れている私たちですが、「映像」や「動画」という言葉の持つ本質的な定義についてみなさん明確に説明できますでしょうか?

かくいう私も、これまでさんざん映像や動画についてご紹介をしておきながら、本記事を書くまでその本来の語義や語源を正確には理解していなかったようです。

そこで今回は、不勉強な自分への反省も込め、「映像」と「動画」の違いについて少し深掘りしてみたいと思います。

インターネットの登場によって差異が明確に

私もそうだったのですが、おそらく「映像」と「動画」の違いについて、一般のユーザーが思い浮かべるもっとも典型的なイメージは、映像=プロ、動画=アマチュア、といったあやふやな区分けによって形作られているのではないでしょうか。

では、いま現在、このふたつの具体的な違いはどこにあるのでしょうか? それを簡潔にまとめたYouTube動画を見つけたので、ぜひご覧ください。

サムネイルの表を見れば一目瞭然です。

「映像」「動画」「作り手」「機材」「編集」「品質」「コスト」「テイスト」「見る場所」。

動画では、この7つの要素によって「映像」と「動画」の違いについて詳しく解説しており、その内実は映像=プロ、動画=アマチュアという一般的なイメージとかなり似通ったものになっています。(しかしながら、この動画での見立ては絶対的なものとはいえません。理由はのちに説明します)

ここで見過ごせないポイントは、「映像」というワードがインターネットのない時代から日常的に使用されていた一方、YouTubeとスマートフォンが一般的に普及したとされる2006年~2010年頃からインターネット上で「動画」というワードの検索数が大きく上昇していることです。

つまり、上の動画のなかでキーワードとなっている「常識の変化」とは、インターネットの登場によって従来の映像制作をとりまく環境が変化し、テレビやビデオ業界などのプロだけに占有されていた「映像」制作が大衆化した結果、今日的な意味での「動画」が誕生したことだと考えられます。

また、「映像」の「見る場所」がテレビなど複数の媒体が想定されているのに対し、「動画」のそれがインターネットに限定されていることからも、「動画」と「インターネット」に密接な関わりがあることは明らかです。

スマホから生まれた「IPT」という概念

もうひとつ「映像」と「動画」の違いを考える上でおおきな手がかりとなるものに「IPT (Information per Times)」という概念があります。

これは、スマートフォン登場以降の映像コンテンツの変化を捉えるために発案された概念で、「時間あたりの情報量」を表しています。では、「映像」と「動画」とではどちらがIPTが高いのでしょうか? 一般的には、映像にくらべ動画の方がIPTが高く、より情報の凝縮されたコンテンツとして認知されています。次の二つの作品を見比べてみてください。

映像

動画

どちらも“動画元年が遂に始まる”というメッセージを伝達するために制作されたコンテンツですが、視聴者に与える印象は異なります。一つ目の作品は、メッセージが表示されたあと、カメラや信号、電車、人物の写真が34秒の時間のなかで連続して映し出されていきます。

一方、二つ目に作品は、同じメッセージと写真を使用しながらも、限定的かつスピーディーに表示することでわずか9秒という短い時間の枠内でコンテンツを完結させています。

おそらく二つを見比べた多くの人が、一つ目の作品は「映像」であり、二つ目の作品は「動画」であると感じるのではないでしょうか。同じメッセージ、同じ素材、同じ世界観、同じYouTubeのコンテンツであるにも関わらず。

インターネットぽいもの=動画?

結論から述べると、この現象は、スマートフォンの普及によってすきま時間での動画コンテンツ消費が急速に増加した結果生じたものだと考えられます。YouTubeやSNS上でより短時間かつ効率的にユーザーへメッセージを届けるにはどうしたら良いのか?

そのリクエストに応えるため、テレビやビデオといった既存の映像作品では見られなかった新しい表現手段がプロアマ問わずさまざまな形で探求され、その総体がインターネットならではの「動画」という言葉と結びついて社会に浸透していったのでしょう。

それゆえ、既存のテレビCM的なコンテンツである一つ目の作品は「映像」であり、二つ目の作品はいかにもインターネット的なコンテンツであるがために「動画」である、とイメージするような思考の回路が私たちのなかにセットアップされているのではないでしょうか。

つまり、「作り手 (プロ/アマ)」や「見る場所 (デバイス)」「品質」にかかわらず、「インターネットぽい」「YouTubeぽい」とと感じられる作品はすべて、ユーザーのなかで「映像」ではなく「動画」として捕らえられる可能性があるのです。

しかしながら、このような「映像」と「動画」という言葉の定義は、インターネット登場以前のものとはだいぶ意味合いの異なるものに変化しています。

それは一体なぜなのか?

次回は、日本における「映像」と「動画」という言葉の起こりと現在に至るまでの歴史的変遷を追いながら、「映像とは何か?」という問題の核心に迫っていきたいと思います。

第2回:「映像」の起源とは? インターレスとプログレッシブ
最終回:「映像」と「動画」二つの言葉の本質的な違いについて


 

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この記事を書いた人

ZOOREL編集部/コスモス武田
慶應義塾大学卒。大学時代から文学や映画に傾倒。缶チューハイとモツ煮込みが大好き。映画とマンガと音楽が至福のツマミ。

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