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脚本を書くためにまず知らなければいけないこと

脚本を書くためにまず知らなければいけないこと

こんにちは、エレファントストーンディレクターの竜口です。

自分はこれまでに、映画美学校という渋谷にある専門学校で映画制作について学び、そこでいくつかの短編映画を制作しました。その後エレファントストーンに入社して、ドラマ系の案件をいくつかやらせていただきました。ここでは脚本について、特にそのルール・書き方についてご紹介します。

脚本は、「シナリオ」や「台本」という呼び方もしますが基本的には同じ意味です。「シナリオ」は映画や演劇、テレビドラマなど広く使われており、「台本」はドラマや番組などテレビ・ラジオのメディアに関連したものに使用されることが多いです。ここで紹介する脚本とは映像の脚本、特にテレビドラマや映画における脚本についてです。

脚本にはルールがある

面白いかどうかを別にすれば、脚本は誰でも書くことができます。小説を誰でも書くことができるのと一緒です。ただ小説とは違って脚本は読む機会が少ないため、書き方・ルールを知らないという人がほとんどです。ルールさえ分かっていれば、脚本は誰でも書くことができます。

小説が割と自由な文体が許されているのに対して、脚本は基本的に決まったルールに則って書く必要があります。その理由は、脚本は不特定多数の人が読むことになる、撮影のための設計図だからです。
同じ脚本を読んで、助監督は香盤を考え、カメラマンはカット割りを考え、美術部は美術を設計します。脚本を頼りにフレーム内外のさまざまな要素を形作っていきます。脚本が変わるたびにルールが変わっていたらそもそも読みづらいですし、脚本家の意図しない解釈で読まれてしまう可能性があります。ルールがないと、脚本は設計図としての役割をきちんと果たさなくなってしまうのです。

それでは実際に、脚本のルールについて見ていきます。

脚本は「柱」「セリフ」「ト書」の3つで構成する。

これが脚本の大元、大原則となるルールです。作品のタイトルや登場人物表、スタッフ表を抜きにすれば、脚本にはこの3つしか書かれていません。具体的にそれぞれの要素を見ていきます。

シーンを区切る「柱」

柱とは、そのシーンの場所と時間帯を記したものです。例えば、

45 喫茶店 夕方

と書いて、この後にト書とセリフが続いてきます。時間帯を示すことでより具体的に映像の雰囲気を想像することができます。もし時間帯に特別な指定がなければ無記名にしてください。「無記名=昼」と判断されます。「45」はシーン番号です。シーンとはある一つの場所で展開される一連の場面を指します。なので、場所が変わればシーンが変わり、柱も変わります。

45 喫茶店 夕方
46 歩道橋 昼
47 喫茶店 夜

といった具合です。また同じ建物内で場所が変わる時は、

22 太郎の会社・執務室
23 同・会議室
24 同:エントランス

などと表記します。ちなみに、ロケーションの詳しい描写は柱の後に続くト書に書きます。例えば、喫茶店は喫茶店でも昔ながらの喫茶店がよければ、

45 喫茶店 夕方
昭和の雰囲気残る喫茶店。
カランコロンと入口のベルが鳴り、太郎が店内に入ってくる。
太郎、席に座るなり煙草に火をつける。

といった形でト書に情景描写を書きます。柱は慣れてしまえば特に難しい要素ではないと思います。

脚本の要「セリフ」

続いてセリフです。脚本のほとんどはセリフで構成されています。セリフに関しては、ルールというよりも、こうすべきこうすべきではないというテクニック的なものが多いように思います。セリフのテクニックだけで一冊の本ができあがるぐらいで、僕には荷が重すぎるため、ここでは本当に触りだけ紹介します。

セリフが持つ機能については次のように説明されています。

(1)事実を知らせる
(2)人物の心理、感情を表す
(3)ストーリーを進展させる

「ドラマ脚本の書き方 映像ドラマとオーディオドラマ」 p50より

よく分からない機能は特にないかなと思います。ここではストーリーを進展させる機能について少し説明します。

脚本を書いていて必ず直面するのが、説明台詞をどう処理するか?というものです。説明台詞とはストーリーを進展させるために、観客に提示すべき情報を盛り込んだセリフのことです。説明台詞は極力無くすほうが良いとよく言われます。人物の感情とは無縁の、便宜上の台詞だからです。説明しなければならないことを全て映像で表現することができればいいのですが、実際はそうはいきません。どうしても説明台詞を入れなければならない場面が出てきます。

例えば次のようなセリフです。
「久しぶりだね。君が大学を卒業して10年ということは僕らも10年ぶりってことになる。あのときの君はちゃらんぽらんな印象だったけど、いまは身なりも清潔で好青年って感じだ。銀行に勤めているだけはあるね。さぁ飲みに行こうか」。
これではいかにも今説明していますよという印象を与え、情報提示のためだけのセリフになってしまっています。

とはいえ、「大学時代からの知り合い」「10年ぶり」「銀行勤め」といった登場人物のバックボーンは提示しなければならない。そういう場合は、例えばですがこういうふうにします。
「久しぶり、見違えたな。銀行っていうのはそんなに羽振りがいいのか?10年前に君が教授に殴りかかって退学してしまったのを今でも覚えてるよ。まぁ積もる話は飲みながら話そう」。

実際に久しぶりに会った時、まずはその見た目の変化に驚くはずです。そのリアクションの流れで「銀行」の情報を入れます。身なりが清潔になっていることは映像で見れば分かることなのでセリフに入れる必要はありません。また、具体的なエピソードの中に「10年前」や「教授」といったワードを入れ、なんとなくでも大丈夫なので観客に情報を植え付けます。

これは余談ですが、自然なセリフを書けるかどうかで、上手い脚本家かどうかが分かれると思っています。脚本のなかでストーリーの構成や魅力的な登場人物を生み出すことも大事な要素ですが、個人的にはセリフの方が比重が大きいです。
もう亡くなってしまいましたが澤井信一郎という監督は、「映画はセリフだ」といっていました。上手いセリフが書ければ、作品に特有のリズムが生まれ、全体のトーンやカットのサイズ感も決まってくるといっています。この言葉の本質を理解するのは難しいですが、人によってはそれだけ脚本におけるセリフを重要視しています。

一番ルールの多い「ト書」

最後にト書です。ト書とは、セリフの前後に書かれる、情景描写や人物の動き、出入りを記した文章です。たとえば、

机と椅子以外何もない部屋。
花子、椅子にじっと座っている。
部屋のドアが開いて、太郎がやってくる。
花子は、太郎に気がつかない。

といった具合です。映像にする上で必要な文章以外を一切排除した非常に無機質な文章です。登場人物の心理描写も書いてはいけません。心理描写はセリフの役目になります。ト書が脚本において一番特徴的だと思います。というのもルールが多いからです。

(1)ト書は原稿用紙の上から三字下げてその頭を揃えて書きます。
(2)ト書は現在形、現在進行形で書きます。過去形では書きません。
(3)柱の後は必ずト書を書きます。
(4)人物の出入りは必ず書くようにします。
(5)人物が変わったり、人物の一つの動作が終わったら行を改めて書きます。
(6)人物が最初に出て来る時は、その人物のフルネーム、その下に年齢も書きます。
(7)同人物のそれ以後の登場では、男性なら姓、女性なら名前を書いて通します。
(8)「二人」とか「家族同一」という書き方をしません。一人ひとりの名前を書きます。
(9)ドラマに関係ない生活動線や細かい動きの指定は書かないようにします。
(10)ドラマに必要のない小道具やその使い方も書かないようにします。
(11)台詞の中に書く括弧ト書も簡潔に書きます。光太郎「…(カチンとくる)」
(12)ト書の中でカメラの動きやアングルなどの指定はしないようにする。
(13)アップ(近景)、ロング(遠景)はト書の名詞の位置によって決まります。名詞で終わればアップ、同志で終わればロングします。

「ドラマ脚本の書き方 映像ドラマとオーディオドラマ」 p46 p47より(一部文章を省略しています)

脚本の体系的な教育を受けた人ならばこれらのルールを守るのでしょうが、正直、全てをきちんと守る必要はないと個人的には思います。(知る必要はあります!)たとえば「太郎、花子は」と書くところを「二人は」と書いたとしても誰でも前後の文脈で分かるからです。
考え方の基準として、脚本を読んだだけでみな同じような映像が頭に浮かぶかどうかがポイントだと思います。映像化にあたっての不明瞭なところがあってはいけません。そういう意味では「心理描写を書いてはいけない」というルールが個人的にはミソだと思っています。例えば次の文章を見てみましょう。

(恋人同士の痴話喧嘩という設定)
太郎「…めんどくさいな」
花子「なにが?」
太郎「なんでもないよ」
花子は、悲しさと怒りが同時に襲いかかり、心がざわつく。

小説的にはアリですが、脚本的にはグレーな表現です。「悲しさと怒りが同時に襲いかかり」という表現だけでは役者がどういう動きをすればいいか、どういう映像になるのかが分からないからです。なので、以下のように書き換えます。

太郎「…めんどくさいな」
花子「なにが?」
太郎「なんでもないよ」
花子、太郎をじっと見つめ、太郎の体を押す。

これで不明瞭なところがなくなりました。先ほどの心理描写に対しての正解かどうかはさておいて、「体を押す」という具体的なアクションが書かれることで少なくとも映像を想像することができます。

ただし、脚本はあくまでも設計図です。実際に映像化に至るまでの工程は現場に委ねます。例えば花子役の役者は、見つめるというよりも睨むような演技をするのか、押すとは手で押すのか体ごと向かっていくのか。監督は、二人の様子を引きで撮るのか寄りで撮るのか、体を押された時の太郎のリアクションはどうするか、などなど。
現場で実際に芝居を作っていく中で、脚本に書かれている動きとは全く違ったものになるということもしばしばです。それでもスタートは、脚本に書かれていることに変わりはありません。脚本を元に映像は構築されていきます。

ルールからあえて外れること

ここまでルールについて書いてきましたが、最後にルールから外れることについて説明します。基本的に脚本はルールに則って書くべきです。それは間違いありません。ただ、ルールを知った上であえてそこから外れたことを書くことで、読む人により強力なメッセージとして伝わることがあります

ト書に心理描写を描いてはいけないと説明しましたが、このルールを真っ向から逸脱して書いた例をご紹介します。

僕「おれは佐知子のことが好きだ」
その瞬間、やってしまった、いうんじゃなかったと、今告白したことこそが間違いだったと、強烈な後悔の念に襲われる。なかったことにしたい。恥ずかしくてたまらない。痛い。さっと目を逸らして逃げ出したい。しかし、ようやく正直に自分の気持ちを伝えられたことで高揚しきった気持ちを抑えることもできず、佐智子のことをただまっすぐみつめ続ける。
佐知子は、これまでみたことのない僕の表情に驚き、戸惑う。愛の告白は嬉しい。でもそれ以上に、いまさら告白してきた僕の身勝手さが、信じがたく、呆れ、無性に怒りを覚える。と同時に、自分がもう、僕の気持ちには応えられないことを悲しくも感じる。胸がしめつけられ、なにも言葉が出てこず、じっと僕の顔をみつめ続ける。      (了)

「シナリオ 2018年9月号」p36より 『きみの鳥はうたえる』(2018)

これは、この映画のラストシーン、主人公「僕」のセリフに続くト書です。「みつめ続ける」以外は全て心理描写です。もし可能なら、この映画の実際の映像を見ていただきたいのですが、このときの佐知子の表情はこのト書通り、いやそれ以上のものが表現されていると僕は思いました。あえて心理描写を事細かく描くことで、役者への強烈なメッセージにしたのだと思います。

まとめ

脚本を書く上で、何より大事なのがルールを知ることです。それがまず最初の一歩です。そしてルールを知った上でどう書くか、それは自由だと僕は思います。ここでは面白い脚本を書くためにどうするかという重要な部分には全く触れていません(というより僕も教えてほしいです)。もしこれでルールが分かったとしても、それはあくまでもスタートラインに立っただけです。ここからまた途方もない作業が待っています。頑張りましょう!

この記事を書いた人

竜口昇
エレファントストーンのディレクター

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