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アフォーダンスと私たち 第3回

アフォーダンスと私たち 第3回

エレファントストーン  エディターの今津です。

今回は、「アフォーダンスと私たち」第3回目の記事を書かせてもらいます。第1回目では、「アフォーダンスとはそもそもなんなのか」について、第2回目では「すべてがアフォーダンスである」ということについて書いてきましたが、今回の記事では、私たちは自分たちの周囲にあるアフォーダンスにどうやって気づき、それを使っているのかという話をさせていただきます。

前回の復習

簡単に前回までの復習をしましょう。そもそもアフォーダンスとは、「私たちの行為を可能にする物理的な存在」でした。

例えば、引き戸は、その形状から「引く」という行為を可能にしています。この時、引き戸は引くという行為をアフォード(与える)している、と専門用語的には言います。

アフォーダンスは、この世の中にある存在の限られたものしか持っていないのでしょうか? そんなことはない。すべてがアフォーダンスであり、それを受け取る人に対して、何らかの行為をアフォードしている、というのが第2回目の話でした。

光がなければ私たちは、モノを認識すらできず、声と触覚と匂いだけでコミュニケーションをとることが通常運転のSF的な世界観になってしまいます。重力がなければ、あるいは、今よりもずっと軽ければ、私たちの皮膚は重力に負けてたるむことはなくなり、化粧用品の売り上げは下がることでしょう。

投げられた球のアフォーダンス

アフォーダンスが至るところにある。私たちは常に何かをアフォードされて生きている。

とはいうものの、私たちは、日々の生活で接するあらゆるモノのアフォーダンスを認識して、生きているわけではありません。私たちは、私たちが求めるあり方に適したアフォーダンスを自然と選び取って、生きているのです。そして、誰でもすべてのアフォーダンスを受け取れるわけではなく、私たちの行為の変化によってようやく見えるようになるアフォーダンスもあります。

野球を例にとって考えてみましょう。イチローは、日本で活躍していた頃の「振り子打法」を、メジャーリーグでは使いませんでした。メジャーリーグの投手の球速に対応するためです。

「振り子打法」は、大きく足を揺らすことによって、投手とのタイミングを合わせるためのものです。

「イチロー打撃フォーム変遷」

ここにも、実はアフォーダンスが関わっています。ここでのアフォーダンスとは、「投げられた球」です。ここでアフォードできるとは、「投げられた球」の微細な変化をとらえることができるということです。しかし、「投げられた球」は容易には、アフォードしてくれません。

だからこそ、イチローの「振り子打法」のように、打者はそれぞれに適したフォームを身につけ、「投げられた球」の微細な変化に対応できるようにするのです。

実はこの打者のフォームの話の中に、今まで語っていなかったアフォーダンスのもうひとつの要点があります。

見えなかったものが見えるようになる

私たちの行為によって、アフォーダンスもまた変化するということです。「投げられた球」がアフォードするものは、何も変化していないはずにもかかわらず、私たちの行為(フォームなど)によって、それを認識することができるのです。

これは『アフォーダンス入門』では以下のように要約しています。

「身体は持続して環境とかかわることでそこにある情報にふれることができる。ギブソンはこのように知覚のシステムと情報が持続して接触することを認識(コングニション)とよんだ。」

もう少し詳しくみていくと、「振り子打法」では大きく足を振り上げます。この振り上げる行為によって、身体のリズムの再編成が起こります。おそらく、振り上げ方もすべてが同じ振り上げ方ではなく、その時のコンディションによって、投手によって微妙に異なるでしょう。こうした毎回ことなる身体のリズム、それが「投げられた球」がアフォードしているものをとらえるために、貢献しているのです。

打者それぞれの肉体は完全に異なっていて、その肉体に適合したリズムというののがあるから、打者が「投げられた球」をアフォードするためのフォームもまた、だた人の方法をまねるだけではなく、各々の肉体に合わせて調整されていくべきでしょう。

それぞれの人に、それぞれのやり方で、それぞれにの人にしか見えないアフォーダンス。

まとまめしょう。アフォーダンスは、私たちの行為を可能にするようなあらゆるものです。
そして、アフォーダンスは、世の中に無限に存します。

しかし、私たちはアフォーダンスのすべてを受け入れるわけではなく、私たちにとって有用なアフォーダンスのみを認識します。
そして(ここからが重要です)、私たちは、何らかの行為を行うことで(足を振り上げる)、アフォーダンスを発見することを可能にできます。

まとめ

いかがでしょうか? アフォーダンスをこうして、地道に考えていくと、色々と面白い発見があります。私たちは今見えている景色を当たり前だと思っていますが、実は、その当たり前の外に無限の行為の可能性が、それを有用と判断とする人に対して開かれているんです。それってなかなか目を開かされることでした。

また、今回でお話ししたように、アフォーダンスが行為によって発見されるというのも面白いなと思いました。行為によってしか見えてこないアフォーダンス。おそらく、その道のプロと呼ばれる人は、私たちよりももっともっと微細に現実をみて、それを認識することができるんだろうなと思いました。

アフォーダンスと私たち 第1回
アフォーダンスと私たち 第2回

この記事を書いた人

今津祥
エレファントストーンのエディター。1989年生まれ。

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