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-映画監督 ロン・フリックの世界-
映像の中の風景

-映画監督 ロン・フリックの世界- 映像の中の風景

エレファントストーンのディレクター 奥野です。

今回は、独断と偏見と好みで一人の監督を取り上げる短い記事を書いていこうと思います。いい感じだったらシリーズ化するかもしれません。

4K収録可能なカメラが日常になった時代、「誰でも綺麗に撮れるようになった」この言葉も耳にタコができるぐらい聞くようになりましたね。

そうなんです、もれなく今回もその話の切り口なんですが、誰でも綺麗に撮れるようになったのは、あくまでカメラのスペック上の話です。誰でも高画質で簡単に撮れる時代になりましたが、撮影技術はどこまでいっても研究と研鑽の世界なんです。

今回はせっかくなので、風景映像の名手の作品を見ていきましょう。

映画監督 ロン・フリック

仮に誰かに「世界を映した作品」は何か?と尋ねられたら、僕は彼の映像を挙げます。

彼の映像作品は、【「純映画」:プロットや架空の人物、俳優を用いることに対抗して、自治的な映画技法を用いることで、ひとりの映画作家がより感情的に激しい体験をつくりだしている理論】の例としてあがることが多く、非物語、非配役の映像の「モンタージュ」で壮大な感情体験を伝えています。

言ってしまえば、世界中で膨大な素のイメージを類稀なるセンスのアングルで撮影し、それを物語的にではなく、純粋な映像の連続性にフォーカスして編集している映像を作っている監督です。

「バラカ」(1992)

Barakaとはアラビア語で「祝福」を意味する言葉らしいです。この映画は、先ほど上に書いた様に、セリフやナレーションが一切ない非言語のドキュメンタリーで、世界24ヵ国で撮影された映像が2時間弱流されます。瀬戸内寂聴さんも出演されています。

「バラカ」(1992)

映像を見ていると、地球がたどる時間を、俯瞰して見つめている様な気分になります。

流される映像は、もちろんありのままなのですが、その卓越したありのまま切り取り方故に、見ている側は様々な感情、それはただ美しいとか悲惨とかに留まらず、生とは何か、何が人生の豊かさを決めるのか、自分たちはどこからきて、どこにいて、どこへ向かうのかなど様々な思考が浮かんできます。

壮大な光景の連続が絶えず押し寄せて、否応なくそんなことを考えてしまいます。

「バラカ」(1992)

 

なんでそんな風に感じるのか、その一つの要因として、画質ではない、卓越した芸術性を想起させる撮影技術があるかと思います。

もちろん70mmフィルムという、35mmフィルムの倍であり、情報量を解像度に置き換えると8K相当の精彩なフィルム使用しているのですが、何より息を飲む様な構図や、被写体に極めて自然にマッチしたカメラワークや撮影技法(スローモーションやタイムラプス)が、この作品を記録映画ではない、アートと感じさせる要素を担保しているのではないでしょうか。

「サムサラ」(2012)

この作品は僕のオールタイムベストの一つで、文字通り画面に目が釘付けになる程の映像美と神秘性を持った被写体の数々に圧倒されます。

「サムサラ」(2012)

サムサラとはサンスクリット語で「輪廻」を意味するらしく、前作の被写体とはまた毛色が異なる世界25ヵ国の風景や人を撮影しています。生と死/武器や儀礼に至る人々が作り上げてきた営みとその破壊を感じさせるコンテキストが別の映像を、一緒くたにして、本当に見事に描き上げています。

「サムサラ」(2012)

一見何も関連性のない世界の別の場所の出来事が巡り巡って続いていく、そんな奇妙な不思議さ、不可解さを全身に感じさせてくれる映画です。

「サムサラ」(2012)

僕個人の感想ですと、バラカと同じく、高いところから世界の秘密を垣間見ている感覚で、もっと今作は答えの見つからない不思議さを感じさせる印象です。人間の愚かさだとか、人生の儚さだとか、単一の感情には収まりきらない、収めて欲しくない、壮大な叙事詩を見つめている、そんな芸術性を持った傑作だと思います。

美しい絵とは

複雑ですよね、これは。あるレベルまでは画質も追い求める必要はあると思います。でも、明らかにこのフレーミング誰でもできる訳じゃないですよね、それはカメラが趣味ではない一般人が見てもすぐわかる美しさではないでしょうか。圧倒的な、安定感と被写体の存在感を際立たせる配置とカメラワークだと僕は感じます。

ちなみに、どちらの映画も各カットを見てみると、基本的な構図原則に則っていることがわかります。そこに背景の被写体との距離やコミュニケーション、ライティングなどカメラマンの技量を惜しみなく注ぎこんだ結果なのではないかと思います。

まとめ

風景撮りに行きたくなりますね。僕は、彼の作品に凄く影響を受けているのですが、なんとなくこれは主観ですが、実景を撮るとき自分はどんなことを意識しているかなと振り返ってみると、必ずカメラを通してではなく、自分の眼で現場を確認して、各カットで「どの大きさで、何を伝えたくて、どこまで情報を入れたいのか」を整理する分析パートがあります。

これが多分一番重要で、ビューファインダー越しに、被写体を見てしまうと既に画角に制限されたところから考えが始まり、なおかつ被写体の空気感や背景との距離感、周りの環境との関係性が圧倒的に見づらくなります。スマホが普及して、カメラが身近になったことで、撮ることに慣れているし、撮る気持ちが先行して、いきなりカメラ越しに被写体を見てしまうことが多いと思いますが、そうするとモニターの中での被写体しか見えなくなるので個人的にはおすすめしません。

自分の目がカメラで、それを機械で撮るという感覚です。なので撮りたい被写体を見つけたら、カメラを構える前に、まず観察する。そうして、どのレンズで、距離感で、どこを一番見せたいか、どんな雰囲気で伝えたいか、これを整理しています。よければ、実践してみてください。

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この記事を書いた人

奥野尚之
エレファントストーンのディレクター

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